2001年9月10日の合気道新聞に掲載された記事です。
道場を訪ねて 杉並合気会
荻窪体育館で週3回 アメリカに姉妹道場
地名というものは、普段話したり書いたりするときはなんとも思わずに使っているが、そのいわれを問われると戸惑ってしまうものだ。ところが、答えを知ると意外に単純で、「なんだ、そういうことなのか」ということが多い。「杉並」の語源も、江戸初期の領主が青梅街道の路傍に杉並木を植えて領地の境界にしたためだというから単純明快にすぎるほどだ。かつては江戸近郊の純農村地帯であり、ケヤキの屋敷林も残っているので、都内二十三区の中では緑に恵まれている方だといえるだろう。
昭和五十年代後半、高円寺体育館で加藤弘師範(現八段)の指導の下、合気道の同好会が誕生したが、その後、同六十二年になって合気会の支部道場・杉並合気会として新発足する。ところが高円寺体育館には武道場がなかったのでいちいち畳を敷かなければならなかったが、平成三年に百六十畳の武道場のある荻窪体育館が完成し、以来、同館が週三回の稽古の場となっている。中央線荻窪駅下車七分、向かいは図書館という静かな住宅街だ。
加藤師範が入門したのはまだ十代の時だったが、植芝盛平開祖の姿を間近にして心を打たれ、一生合気道を続けようと決意を固めたという。杉並合気会でも開祖を知る人は数人しかいなくなったが、「武道は他人に教わるものではないとの言葉が今になってよくわかるようになりました。稽古はあくまでも自分の問題であり、自身を厳しくしなくては何にもならないと思う」としみじみ語る。会員は約百人だが、米西部のサンフランシスコ、その南東方にあるサンノゼ、NASAの宇宙センターで知られる南部のヒューストンにも姉妹道場(計約三百人)があって、師範は年に二回、稽古と審査に訪れている。逆に荻窪の道場にも外国人が絶えず稽古に来ており、合気道をするために日本に来て就職した人もいるそうだ。